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きつねのかがりび(仮)

一尾

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「きゃっ!」
 昇降口の出先でぶつかりそうになった誰とも判らぬ女子生徒の声が耳に届く。
 それでもこの俺、明松灯輝(かがりともき)は構わず走り続けた。振り向くこともしなかった。それどころではなかったからだ。

 彼は脇目もふらず疾風のように駆けていった。

 少々安っぽい文学表現かも知れないが、端から見たらそんな光景だったに違いない。
 桜前線到達から幾許か時が経ち、艶やかだった白き衣の並木道は新緑のアーチへと移行を始めた四月下旬。晴天に恵まれ、心地良い春の陽気に満ちた午後のひと時。当日の全日程を終え勉学という拘束から開放された学生達により、校内は賑やかな交流の場と化している。
 それは、そんな学園生活において何処にでもあるような典型的放課後の一幕での事であった。

「くそッ、結局、こうなるのかよ」
 俺は息急き切って駆けながら、肺胞に染み出した二酸化炭素と共に吐き捨てる。
 それは後悔と失望を混ぜ合わせた嘆きであった。
 ともあれ、今は感傷に浸っている暇はない。目下のところ俺は全力を持ってアレを撒き、一刻も早く身の安全を確実のものとしなければならないのだ。感情に振り回されている余裕などなかった。
 尤も、実のところアレが実際に追いかけてきているのかは疑わしかったが。何せアレを振り切ってから俺は一度も後ろを振り返っておらず、直接それを確認したわけではないのだから。
 だが、それでも俺が悲鳴を上げる肉体各所に鞭打ちながら視認作業よりも全力疾走を優先していたのは、万が一にもアレの追随を許したら、冗談抜きで致命的結果を招きかねない状況だからに他ならなかった。
 つまり走行フォームとして合理性に欠ける後方視認動作なんて無駄な事はとてもじゃないが取っていられない程に、今はのっぴきならない状況なのである。

 故に俺は一心不乱で何処へともなく走り続けた。(まあ一応、電車通学なので最寄り駅方面には逃げていたがな。)
 走り続けてどれくらい時が経っただろうか―――と言っても、陸上長距離選手でもない俺が走り続けられる程度のことであるが。
 ともあれだ。健康優良高校生でも酸欠と疲労で意識が朦朧とし始めるくらいは走ったところで、俺は霞む視界の端に大きな鳥居を見つけたのである。そういや、登下校の際に何度か目にした事があったような……。
 まあ何にせよ、立派な鳥居であった。
 あれだけ立派な鳥居であれば、そこにあるのはそれ相応の神社だろう。俺のスタミナも無限ではないし、渡りに船であるのは間違いないと思った。
 進路変更。俺は駅へと続く大通りから脇道に逸れ、一路その大鳥居へと舵を切るのだった。

 近くまで行くと、しっかりとした石造りの鳥居の先には高低差二メートル程の石段があり、その先にある参道へと続いているのが見えた。
 よし。
 俺は疲弊した肉体に気合という名のムチを打ち加速をかける。ゴールが見えたので、ラストスパートというやつだった。
 鳥居の下を抜け、石段を二段飛ばしで駆け上がった俺は、そのまま巨木に囲まれた参道を駆け抜け境内に進行、神社の拝殿まで辿り着くと、漸くと言った具合にその足を止めるのだった。
 視界が眩み、喉は焼けたように痛む。慣れない過重労働を強いられた我が肉体は、その苛辣な任から開放されてもなお悲鳴を上げるのをやめそうになかった。立っているのもしんどかったので、早急にその場にへたり込んで回復に努めかったのだが―――その前に確かめねばならぬ事がある。
 俺は後方を振り返り、今しがた走り抜けてきた参道の様子を伺った。
 綺麗に敷き詰められた石畳の道、その脇に等間隔で建立されている朱で塗られた灯籠、周りは手入れの行き届いた木々が生い茂っているだけ。別段怪しげなものなど居ない、よくある神社の境内そのものであった。
 ここで漸く俺は「はあ」と安堵の息を深く吐き出すと、拝殿の前にあった段差の所に倒れ込むように腰を下ろすのだった。
 暫し肉体の回復に努める。幸い木々に囲まれた境内は街中に比べ涼しく、時折吹く冷たい風は火照った体を冷やすのにちょうど良い。
 さてカロリー消費で上昇した体温が平常値に戻るまでには、今暫く時間がかかりそうである。今のうちに俺の身に降り掛かった災難について、ここでおさらいするとしよう。今後、似たような過ちを繰り返さない為にも、事態把握と反省は大事であるからな。
 そんなわけで俺は幹の間から差す木洩れ日を静かに浴びながら、落胆の溜息を漏らして事の経緯を振り返る事にした。
 いったい何故こうなったのか? と―――――




―――――それは遡る事ほんの十数分前、つい先刻の事であった。
 本日のカリキュラムを終えて各自解散となった放課後の始め。俺は当たり前のように教室を後にしていた。帰宅部所属の俺にとって帰宅行動というのは野球部がキャッチボールで肩を温めるのと同じくらい不変のルーティーンに他ならないからな。
 要するにそこまではいつもと変わらぬ通常業務、平穏平和な放課後の一時だったわけだ。ホント、この時まではな。
 そんな規定路線からの逸脱を余儀なくされたのは、俺が帰宅の徒に就くべく昇降口へと向かうため、特別教室棟へと続く渡り廊下の連絡口付近を歩いていた時の事だった。
 唐突に特別教棟方面より耳障りな声が渡り廊下を伝い、違法改造車のエンジンが奏でる爆走音の如く響き渡ったのだ。
 それは笑い声で賑わう学校の放課後ライフに似つかわしくない擦れた甲高い声。断末魔の叫びとも取れそうなもので、俺の聞き間違えでなければ日本語で助けを求める際に発する類の言葉だった。一般常識の観点からすれば、何らかの事件性を否が応でも連想させられる事象だったと思う。人並みの正義感を持ち合わせている者ならば、熱血名探偵でなくとも、急いで駆け出したのではなかろうか。
 よって俺も気が付けば特別教棟に向け駆け出していたのである。そこに落ち度はなく、寧ろ必然の行動だったとさえ言えるわけだ。もっとも今にして思えば、この時点でおかしな点に気付くべきだったのかもしれない。何せその判断は、飽く迄も一般常識の範疇での事だったのだから。
 ともあれ俺は特別教棟に向かったのだ。
 公立校らしい飾り気のない扉を開け中に入ると、そこには一切の人影が無く、生徒で賑わっていた通常教棟の騒ぎが嘘のように静まり返っていた。
 特別教棟はその名の通り理科室だの音楽室だの家庭科室だのと特定条件下でしか使われない教室がその大部分をしめている。使用頻度の関係上、必然的にノーマル教室がある通常教棟に比べて教師や生徒の往来が少なくなるので驚くほどの事でもなさそうだが―――――
 しかしなぁ……。
 つい今しがた悲鳴(のようなもの)を耳にした後である。流石にただの静寂とは思えない。と言うか寧ろ事件性を意識せずにはいられない。何か後ろめたい事を起こす場合、人目につくのとつかないの、果たしてどちらが都合が良いだろうか。断然、後者に決っている。人気が無いという事は、その悪事を暴く目撃者が現れない事を意味し、それは事件を起こし易い状況に他ならないのだ。つまりこの静寂というのは、現状でより事件性を連想させる要因というわけである。
 俺はごくりと生唾を飲み込んで緊張を高めた。
 そんな矢先である。
 再び先程と同様、いやそれ以上の絶叫が廊下の奥から駆け抜けて来た。より鮮明に、より荒々しく、凡そ学校という場に似つかわしくないそれは、思わず耳を塞ぎたくなるほどに俺の鼓膜を激しく揺さぶった。
 背筋に冷水を垂らされたような悪寒が走る。
 やばいな。
 直感的にそう思った。
 一旦、引き返して人を呼ぼうかと迷う。
 しかしながら、今の絶叫が本当に悲鳴だったとするならば、かなり切迫した状況が予想される。人命に係わりそうな雰囲気すら感じられた。であるならば一刻の猶予もないと考えるのが自然である。
 僅かな逡巡の末、俺はその重くなった足を更に前へと進める事にした。
 相も変わらず人っ子一人見当たらない廊下を進んでいくと、数ある特別教室の中で一か所、視聴覚室の引き戸だけが大きく開いているのが目に止まる。聞こえた叫び声が鮮明であり、廊下にそれらしいものが無い以上、俺の疑念は当然の如くそこへと向かった。
 俺は念の為、引き戸へと続く廊下の壁際を細心の注意を払いながら忍び足で近づいていく。そうして開いた出入り口の脇まで辿り着くと、中から悟られぬよう壁際に身体を隠したまま、ゆっくりと顔を半分だけ出して中を覗くのだった。
 薄暗くてよく見えない。視聴覚室だけあって暗幕が掛かっているようだった。
 仕方がないので開いた引き戸と暗幕の隙間から差し込む僅かな外光を頼りに目を凝らす。まあ幸い、我が校の視聴覚室なんてのは前面に投影用スクリーンを備えているだけで、あとは会議用テーブルとパイプ椅子が雑に並べられた簡素な作りである。さして身を隠すような死角もなく、幾ら視界が薄暗いと言っても、人の有無を視認するのにそれほどの支障はなかった。
 見た限り人影はなし。念のため上半身だけ室内に乗り出してもう一度中を覗うも、やっぱり人の姿は見当たらなかった。結論、視聴覚室内には生徒も教師もそれ以外の部外者もいなかったわけである。
 俺はとりあえずだがホッと胸を撫で下ろした。誰もいない以上、先程の悲鳴(仮)とは無縁と結論付けられそうだったからな。
 だが安心するにはまだ早かったようである。なぜなら僅かに気を緩めて間もなくの事、腹に響く不気味な低い掠れ声が頭上というあり得ない方向から降ってきたからだ。
「見つけた……」と。
 先程の悲鳴(仮)の時とは比べ物にならないほどの底気味悪い寒気が背筋を伝う。
 人気のない場所であり得ない場所から声を掛けられたのだ。恐怖に駆られるのは当然である。だが俺の場合はそれだけに留まらず、明確な危機感と後悔が同時に沸き立っていた。なぜなら俺は経験上、自身が今置かれたこの状況を即座に理解し、ここに至るにあたり根本的な思い違いをしていた事を悟ってしまったからである。
 俺はゆっくりと自身の上方に顔を向けた。
「やっぱりな……」
 思わずそう漏らしたのは、想定通りの光景がそこにあったからだ。
 薄暗い室内でもはっきりと見える黒い靄の塊。大きさは両腕を目一杯伸ばさないと抱えられない程だろうか。その黒い靄の塊が天井と壁の境にへばり付くように留まり、人の頭程ある大きな単眼で俺を見下ろすように凝視していたのだ。
 つまりそこには“妖怪”がいたわけだ。
 考えてみれば初めからおかしかったのだ。俺がここに来た最初のきっかけは、助けを乞う叫び声だった訳だが、あれだけ盛大な声(しかも二回)を聞いて他の生徒が誰一人として駆けつけて来ないのだからな。普通、あんな突拍子もない声を聞いたら、どんなに少なく見積もっても野次馬の一人や二人は必ず現れるというもの。そもそも、好奇心旺盛な高校生が多数詰めかける学び舎で、誰一人として騒ぎださなかった事自体が大いに不自然だったのだ。
 だが、この一つ目妖怪を見て納得である。あの声が妖怪の声だとしたら、駆け付けたのが俺一人なのは当然の結果に他ならない。何せ俺以外の誰にもあの声は届いていなかったのだから。
 初めの悲鳴が助けを求める声だったとするなら、恐らくあれは妖怪同士のいざこざか何かが原因の事だろう。時に人が人を襲う事があるように、或いは動物が動物を襲うように、妖怪が妖怪を襲ったとしても別段珍しい事ではない。目の前にいる一つ目妖怪がどちら側だったかはわからないが、どのみち人間が与り知らぬ領分での出来事だったに違いない。たまたま関与可能な俺が居合わせてしまっただけで、本来ならば人知れず終わっていた事なのだ。
 要するに先程の悲鳴(仮)と人間は無関係であり、事件性など皆無、俺が急ぎ駆けつける必要など微塵もなかったわけである。
 全くもって悔やまずにはいられない。
 いや別に無駄骨をおる結果になった事を嘆くつもりはないさ。というか寧ろ人的被害がなかった事を悦ばしく思っているくらいだ。ただ、平穏な学園生活を送るため妖怪との距離を置くべく奔走していた身としては、自ら下手を打った形となった事に対し悲観せずにはいられないのである。
 ともあれ―――今はそんな一時的感情に構ってはいられないので、実際に落ち込むのは後回しにしなければならない。何故なら俺は目下のところ、可及的速やかに対処せねばならない事態に直面しているからだ。
 一体それは何かって? 
 そりゃあ勿論―――――未だ俺の顔をじっと凝視し続けている黒靄の一つ目妖怪の事に決っているだろ。本来出くわす筈のなかった人間、しかも妖怪の事を認識できる俺という存在と対峙したこの一つ目が、この後一体どういった行動を起こすのか、って事さ。
 俺は長年の経験から容易にそれが想像出来てしまう。ハッキリ言って碌な絵面が浮かばない。
 そんなわけで、俺は冷汗が噴き出すのを全身で感じながらゆっくりと体勢を整え、逃げる準備に取り掛かる。無論、一つ目妖怪からは一時も目を離さない。よく言うだろ、山で熊と遭遇したら絶対に目を逸らすなとか、なんとか。アレと一緒だ。もっとも相手は熊でもなければ、そもそも動物と分類していいのかもよくわからない存在なので、効果の程が如何ばかりあるのか、甚だ疑わしかったが。まあでも、やらんよりやっといた方がマシならば、やっておいて損はない。それ程までに退っ引きならない状況と言えなくもなかったからな。
 実際、俺のその判断は間違っていなかったと思う。この時、一つ目妖怪のギョロリと飛び出た眼球は黒目部分が俺の動きを追尾するように動いており、明らかにロックオン状態であると認識できたからだ。獲物を狙う狩人のような目を向けられて能天気に楽観視するのは愚の骨頂に他ならないだろ。
 ともあれ、こうして俺は次なる行動、即ち逃走の機会を覗っていた。
 しかしながら狩る者と狩られる者、主導権がどちらにあるのかと言ったら、やはり前者の場合が殆どである。そして本件もその例に漏れずの結果だった。
 先んじて逃走行動に移りたい俺の思惑に反して、一つ目妖怪に先手を打たれたということだ。
 一つ目妖怪は唐突に目を細めてニンマリと笑うと、再び擦れた声でボソリと呟いた。
「見つけた……」
 それが狩の始まりを告げる合図なのは明白だった。怪奇案件の経験豊富な俺の本能がこの場に留まる事を強烈に拒絶したのだからな。
 直ぐ様駆け出しその場を退散する。元々そのつもりだったので準備は出来ていし、イメージも完璧だった。実際、四肢への伝達も完璧だったと思う。現に俺の脚には、確かに床を蹴った感触がはっきりと残っていたのだからな。
 だがその思惑に反して、俺の身体はその場から離れる事を許されなかった。正確に言えば、左腕を基点に引き戻されたと言うべきか。
 俺は慌てて自分の左腕を見る。すると腕にはいつの間にか、紐のように細長い黒い靄が幾重にも重なり絡みついていた。それは一つ目妖怪から綱のように伸ばされた黒靄だった。やつの方が一足早く、逃走防止に俺の腕を捕まえていたというわけだ。
 俺は足を踏ん張り強引に自身の左腕を引き寄せ黒靄を引き剥がそうと試みる。しかしこの靄、見た目こそ綿菓子の様に脆そうなのに、幾ら引っ張ろうともワイヤーで絡め取られたようにビクともせず、引き千切れそうにもなかった。
 危機感は急上昇、恐怖も一気に込み上げる。
 さらにそんな俺に追い打ちをかけるように、靄の絡みついた左腕にはジンジンと冷たくも熱いという体験したことのない不気味な感覚が広がっていく始末。腰を抜かしそうになるのを必死に抑えるので精一杯だった。
 程なくして一つ目妖怪は音もなく視聴覚室の床に舞い降りたかと思うと、じわりじわりと綱のように伸びていた靄を引き寄せ始める。それは俺の力では抗いようのない圧倒的な力強さだった。引きずられるようにして俺の意志とは無関係にその距離が縮まっていく。
 宛ら釣り針に喰いついてしまった魚状態。不用心に近づいた己の浅はかさと無力さが恨めしかった。まさかこんな形で釣り人に捕獲される魚の気持ちが解るとは思わなかったぜ。
 釣られた魚に妙にシンパシーを感じながら、いよいよ脳裏をちらつき始める観念の二文字。いっそ致命的な結果を迎える前に、明るい学園生活を諦め〝イタい奴〟のレッテルを張られる覚悟で大声を上げようかとも考えた。
 しかしながら、それより先に窮鼠猫を噛むではないが追い詰められた俺の必死のあがきが功を奏し、幸運にもその難は逃れる事となる。
 どうにかしようと自由の利く右手を振り回したり、目一杯伸ばしたりしたところ、偶然にも開きっぱなしであった視聴覚室入り口の引き戸に手が掛かったのだ。
 俺はここぞとばかりにその引き戸を思い切り閉めてやった。安作りのなんちゃってとはいえ一応防音対策が施された引き戸、通常より重厚である。それが見た目通りの重く沈んだ音を奏でて俺のいる廊下と妖怪のいる室内を隔絶するように勢いよく閉まったのだ。この衝撃には流石の一つ目妖怪も堪えたらしく、絡みついていた黒い靄がスルリと左腕から零れていった。
 かくして再び自由を手に入れた俺は、捕獲寸前に釣り針から逃れ大海原へとダイブした魚の如く、一目散にその場から逃げ出したのだった―――――




―――――さて、これが疲労困憊で神社でのブレイクタイムを余儀なくされた逃走劇の発端である。やれやれ、とんだ災難だ。
 俺は思い返して思わず苦笑する。
 そして、ふと思う。
 果たしてあの一つ目妖怪はどうなったのか、と。
 だがそんな疑問はすぐに火照った身体を優しく撫でて去っていく春風に乗せて、空の彼方へ吹き飛ばした。
 考えるだけ無駄だからだ。結果的に逃げ果せた今となっては、それは最早知る由もない事である。なぜ一つ目妖怪が視聴覚室(あの場所)に居たのか、いつもそこに居るのか、偶々居ただけか。俺には何も解らないし、調べる術もない。そもそも妖怪とは突然現れ、突然去っていく、自由気ままで理不尽な輩である。それを俺は嫌と言うほど思い知らされて生きてきた。だからこそ、その結論に至るのだ、考えるだけ無駄であるという結論に。
 大体、知ったところで何かがどうなるわけでもない。仮にあの一つ目妖怪が視聴覚室に常駐していたとして、俺に奴をどうにかできるような力は無い。かと言って「君子危うきに近寄らず」ではないが、再び襲われる危険性を考慮して、暫く登校を控えるなんて我が儘を通す地位も権力も持ってはいない。要するに俺が今後取る行動はその結果が如何なものであろうとも変わらず、今まで通り学校には通わなければならないし、そこで生活しなければならないのである。そうした俺の都合の観点からも無駄であろう。
 幸い、今回は事の顛末を他の生徒や教師といった他人に見られずに済んでいる。実害なんてものは俺が小便チビりそうなくらい怖い思いをしただけという一時的なものしかなく、学園生活における不都合は生じていない。被害は最小限に抑えられ平穏な学園生活を守るという本質は失っていないので、済んだ事と割り切るのが得策だ。下手に深追いして本末転倒になっても事だからな。
 であれば、強いて俺が出来る事といったら、金輪際あの一つ目妖怪との関わりを持たぬよう願う事くらいであろう。よって、当面はそうならないよう自ら望んであの視聴覚室に近づこうとしない事、怪しい声を耳にした時はまず周りの人間の反応を確認する事、以上二点を徹底すると定め、今回の考察と反省を終える事にした。
 まあちょうど過重労働を強いられグロッキー状態だった心肺機能も落ち着きを取り戻してきた事だし頃合いだろう。
 かくして、考え事もなくなり体力も回復してきた俺。周りの景観に目を配るくらいの余裕も出てきたので、改めて周囲を見渡してみる。時間帯故か参拝者こそ居なかったが、改めてそこがそこそこ立派な神社だと知る。境内は拝殿のみならず狛犬や灯籠、その他もろもろまで年季と手入れが同居しており、そこから醸し出される貫禄のようなものがひしひしと感じ取れるのだ。この辺ではそれなりに名の通った神社なのではなかろうか。
 どうやら俺の取った行動は正しかったと言えそうだ。経験に基づくに、格式高い神社ならば、そう簡単に妖怪は入って来られない筈だからな。仮にあの一つ目妖怪が実はすぐそこまで俺を追いかけて来ていたのだとしても、ここならばやり過ごせそうだ。
 てなわけで、神社の外で一つ目妖怪が彷徨いている可能性も考慮して、俺はそのほとぼりが冷めるまでここで暫く時間をつぶす事にした。
 ただボケっと座り込んだまま待つのもなんなので、俺はゆっくりと立ち上がると、拝殿の賽銭箱に歩み寄る。どんな神様が祭ってあるのかは知らないが、ほんの少しとは言え居座らせてもらう身、礼のひとつも言っておこうと、大層に言えばそんなところだ。まっ、実のところは神社に来たので折角だからお参りを、という日本人気質が顔を覗かせただけだったりするが。
 ともあれ俺は賽銭を投げ入れようと、財布から光沢のない古びた五円玉をつまみ上げていた。
 それはそんな折の事だった。
 気付いたのは偶然である。
 ただここに至る経緯を考えたら必然だったのかもしれない。
 何にせよ、俺はその時、そこはかとなく後部上方に気配を感じ振り返ったのだ。
 そして俺は驚愕した。 
 体を捻り空を見上げた先、そこにはなんと狐が居た。足場のない空中だった。
 それは太陽の光を柔らかく拡散し、まるで光り輝いているかのように煌びやかな金毛を靡かせた紅色の目をした狐。美しいとの形容が如何にも似合いそうな風貌だった。
 その狐は大きかった。神社を囲む巨木の群れが若木の集団に見える程の巨体。凛々しく力強さに満ちていた。
 そして、筆頭とするべきは尻尾だった。狐の尻には、種の特徴とも言える立派な尻尾がなんと九つも生えていたのだ。尤も、実際にちゃんと数えたのかと言えば、そうではない。それは【尻尾が多い狐】=【九尾の狐】という少し妖怪に精通していれば当たり前のように持っている知識に基づいた、俺による独断と偏見による結論である。何せ靡く毛並みで輪郭がぼける尻尾の数々が幾重にも重なり個々の判別を難しくし、遠目では数えるのを断念せざるを得なかったからな。だが、概ね正しかったと自負している。なぜなら異質であるにも関わらず堂々と生えるそれらの尻尾が、狐に一際風格を持たせ優雅たらしめていたのは確かだからだ。


 詰まるところ、そこには神々しくすら見える大狐が紛れもなく居て、俺は崇高なるその姿に驚嘆をもって魅せられていたのだ―――――
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