FC2ブログ

きつねのかがりび(仮)

六尾

 ←五尾 →プロローグ
 翌朝。まるで我が心情を汲み取ったかのような薄雲の空の下、俺は学校への道程を歩んでいた。歩道の脇には新緑の混じり始めた桜の木立ちが規則正しく並んでいる。入学して二週間ちょっと、漸く見慣れ始めた景色だったが、今日は些か寂れて見えた。流石は絶賛余命減少中の身と言ったところか、物事を良質に捉える心のゆとりが不足しているらしい。もっとも本日は電車一本分早い登校で実際に通学ラッシュとは僅かながら時間的ズレが生じているので、メンタル面だけが原因というわけでもなかったりする。ともあれ、それもまた呪いのなせるワザであると言えなくもないので、やっぱり原因は呪いであると言えるのかもしれない。
 今朝は珍しく目覚ましが耳障りな電子音を奏でるよりも先に目が覚めた。普段、目覚まし時計のスヌーズ機能相手に激しい応酬を重ねているのが嘘のように思える程の寝覚めの良さだった。だが別段驚く事でも無いだろう。一晩経って残り二日とちょっと、このまま何もしなかった場合の俺の余命は余りにも短すぎる。刻一刻と消費される命を前に、一分一秒が惜しいと深層心理下で焦っていたとて不思議ではないのだから。
 それに―――。
 俺はブレザーとワイシャツの左袖の端を右手でまとめてつまみ上げると、隙間から中を覗いた。すると相も変わらずくっきりと描かれた不気味な黒い痣のような文様が目視できた。自己主張甚だしい呪いの印。実はこれ、明らかに昨日よりも俺の腕を覆う範囲が広がっているのだ。気付いたのは今朝。普段よりも早く目覚めた事もあり、余裕を持ってゆったりと寝間着から学生服に着替えている時だった。別に、前夜寝る前に散々見返した呪いの文様が何かの拍子に綺麗サッパリ消えているなんて都合の良い事を期待していたわけでもなかったが、それでも万が一という事があると思い、念の為その存在を確認しようと俺はワイシャツに袖を通す前、自身の左腕に目をやった。すると昨晩までは前腕の一部に刻まれているだけだったはずの呪いの文様範囲が、前腕全体のみならず上腕の半分を覆う程に広がっているのがひと目で見て取れたのだ。それは、如何にも体を蝕んでいますよと言わんばかりの変化だった。こんなあからさまに肉体を蝕まれていれば、深層心理と言わず実質的に何かしら何処かに機能不全を引き起こしていて、それ故いつもより早く目が覚めていたとしても何らおかしくはないというものだ。
 俺は溜息を洩らしながら摘んでいた袖から指を離すと、両手をズボンのポケットに突っ込んだ。
 まあ何にせよ、悠長に構えてられるような心情でないのは明らかなので、俺はこうして普段より一足早く学校へ向かっている次第である。
 そうこうしているうちに、家並みの隙間から周囲より二回りは大きい無機質な鉄骨仕立ての建物が見えてきた。我が母校の校舎である。間もなく一つ目妖怪との因縁の地に辿り着くというわけだ。
 然るに俺は周囲に目を配り始めた。
 昨日、恐怖体験をした現場に近づいたのである。警戒を強めるのは至極当然な事だ。いつまた不意に件の一つ目妖怪に襲われるやもしれないのだからな。
 とは言え、その一つ目妖怪の存在に気を配る以上に、俺は昨日出会ったもう片方の妖怪の姿をより熱心に探していた。
 もう片方の妖怪というのは、当然ながら一つ目妖怪に襲われた際に逃げ込んだ神社で出会った大狐、白面金毛九尾と自称するたまもと名乗った妖怪の事である。
 では何故ゆえそのたまも捜しを優先するのかであるが、それは彼女こそ一つ目妖怪拿捕に際し、キーマンとも呼べる存在だからである。何せ彼女無くして一つ目妖怪捕縛はあり得ず、彼女無くしての一つ目妖怪との遭遇は襲撃及び逃亡の恐れに直面するという危機を孕んでいるからだ。
 それにだ……実のところ、たまもとの再会に目処が立っていないという事が理由として大きかったのは否めない。昨日、駅前の喫茶店にて(なぜだかゴリ押しされた)たまもの助力の申し入れを俺は受け入れたわけだが、その直後彼女は「決まりじゃな」と言って立ち上がると「そんじゃあ明日、お主の通う高校とやらで再会しようではないか」と一方的に話を打ち切り、さっさとその場を立ち去ってしまっていたのだ。その一連の動作言動は実に洗礼されていて、制止することなどままならず、気付けば俺は静かにクラシック音楽が流れる小さな喫茶店の一角にひとり取り残されていたという事だ。
 つまりたまもと再会するにあたり、昨日における明日である今日という大雑把な時間指定と俺の通う高校というこれまた大雑把な場所指定しかなされておらず、その実現性に根本的不安を大いに抱えているのである。いったい今日の何時、高校という敷地面積の広い場所の何処で再会しようというのか、皆目検討もつかないのだ。たまもありきの作戦で、その彼女との再会が不透明というのは精神衛生上好ましくない。せめて行き違いの類は避けたいと、こうして周囲に気を配り始めたわけなのだ。
 かくして残り僅かとなった道のりを進んだ結果であるが―――――結局、校門の前に至るまでに、たまもを見つける事は出来なかった。そうそう物事というのは都合よく事が運ぶものではないのである。
 さて、どうしたものか……
 門前の脇で俺は考え込む。そこより先、校内へ踏み入るべきか否かを決め兼ねていたのだ。昨日の恐怖は未だ克明に覚えている。唯一の対抗手段と言えるたまもとの再会が未だ叶わぬままなのに、一つ目妖怪と遭遇し易い環境に身を置いて良いものかは、例えそれがその唯一の対抗手段を見つけるためであったとしても大いに悩むところなのだ。
 暫く逡巡した後、俺は行く手に注意を払いながら、再びその歩を進め始める事にした。まあ、ここまで来て踵を返し家へ逃げ帰るわけにも行かない。どの道、呪いを解かない限りは俺に未来はなく、そうならない為には結局のところ(おそらく)校内に居るはずのたまもと合流せねばならないのだからな。
 かくして意を決した俺は昇降口へと続く校庭脇の道を進んで行った。
 しかしながらやっぱり物事というのは都合よく事が運ぶものではないようだ。
 校庭脇の道を半分ほど進んだところで俺の進行は妨げられる事となる。背後から何者かに左腕を掴まれ、グイッと引き止められたのだ。
 一つ目妖怪を警戒するあまり、たまもの姿を探すあまり、行く手である前方に注意を向けていた俺にとって、それは全くの予期せぬ事であった。
「のわ゛ぁ!?」
 一つ目妖怪案件で気を張っていた事も相まって、思わず素っ頓狂な声を上げてしまった。
 何事かと思い振り返ると、見覚えのある細身の女子生徒がひとり、俺を睨みつけるように立っていた。
「ちょっといい?」
 重苦しさを匂わせる声でそう言った女子生徒は、有無も言わさないといった感じで俺の左腕を鷲掴みにしたまま校庭とは反対の道脇に逸れて行く。
 よろけそうになりながら、俺はなされるがまま女子生徒の後に続いた。
 本来、斯様に一方的な行為は拒否して然るべきなのかもしれない。相手は細腕の女子生徒ひとり、そうするのにも弊害は少ないように思える。ただ力に任せて立ち止まり、「やめてくれ」と一言言えばいいだけなのだから。
 しかしながら俺にはそれが出来なかった。
 理由は多々あった。まず第一に、その女子生徒が身に纏う雰囲気という名のオーラが俺の抵抗に待ったをかけていた。幾ら体格的に優位性を有していたとしても、相手がそれを上回る威圧というやつをその身に宿していたとしたら話は別である。
 第二にその女子生徒は上級生というのがあった。我が校の制服はネクタイの一部に入学年度別に色違いのライン模様が刺繍されており、それによって学年を見分けられるようになっている。色は赤、青、緑が三年周期で使い回される仕組みで、今年度入学の俺達の年代は緑色が割り振られている。そして件の女子生徒のそれは青、二年の先輩である事を示していたのだ。年功序列文化が色濃く残る日本で生まれた俺には一応年上を敬うという考えがある。現状で事情が分らないとあっては無碍に拒絶するわけにもいかないのだ。
 そして第三に、俺はその女子生徒の事を知っていたのだ。と言っても別に直接の面識があったわけではない。いや寧ろ面識がないのに彼女の事を知っていたから抗えなかったと言えるのかもしれない。艷やかな黒髪のセミロングヘア、長く揃った綺麗なまつげ毛と宝石のように煌めく大きな瞳、淡麗な面持ちのその女子生徒は名を長宮小夜(ながみやさよ)。彼女は我が校の生徒会副会長なのだ。初めてその姿を拝見したのは入学式、如何にも堅物そうな生徒会長に連れ立って現れた時の事だった。慎ましく、それでいて艶やかな立ち振る舞いに思わず魅入ってしまったのを覚えている。だが、それもそのはずだ。あとで知った事であるが、この長宮先輩は容姿端麗で成績優秀、おまけに運動神経も抜群、ちょっぴり奥手だが人当たりが良いとの好評判で、校内随一の支持率を誇る人気者だったのだからな。事実、俺と似たような印象を受けたと思しき者は周囲に多々おり、それが単なる噂の類ではない事は明白だった。そんな相手が今俺の手を引き、何処かへ連れて行こうとしているわけだ。無下に出来ようはずがない。だってそうだろ、幾ら不穏な空気が彼女から流れ込んでいようとも、もしかしたらもしかするかもしれないではないか。僅かながらの可能性と解っていてもその可能性を捨てきれない、それが今俺を引き連れている長宮小夜という人物なのだから。
 かくして無抵抗のままこの長宮先輩にその身を委ねていた俺。そうして連れて行かれたのは特別教室棟校舎裏だった。
 朝のこの時間、唯でさえ特別教室棟は人気が少ないのだが、さらにその校舎裏である。そこは俺と長宮先輩を除けば人っ子ひとりおらず静まり返っていた。
 そのような場所に俺を連れ出して、いったい長宮先輩は何の用があるのだろうか。彼女の様子を覗うに、相変わらずその表情は険しく見えるのだが……。
「昨日はどうも」
 それまでの険悪な表情をガラリと一変させ、ニッコリと艶やかに微笑んで長宮先輩が言った。
 俺は背筋に氷水を垂らされような悪寒を覚え背筋を伸ばす。本来ならば可憐で美麗な上級生の笑顔に感涙してもおかしくない。しかしながら、如何せんその不自然なまでの表情変化、そして何よりその笑顔とは到底結び付かぬ重苦しく冷めた声色が本能的に俺の危機感を募らせていたのだ。
「き、昨日……ですか……? 昨日貴女様とお会いした記憶がないのですが……人違いではないですよね?……」
 俺は冷や汗混じりに恐る恐るそう答えた。実際、昨日長宮先輩と会った記憶などない。というか会っていたのならば、それが例え唯すれ違っただけだったとしても俺の脳裏には鮮明に焼き付いているはずである。だがそんな焼き印の痕跡は一切見当たらない。身に覚えがなければそう答えるより他にないというものだ。
 すると長宮先輩がいっそう眩く微笑みを向けた後、
「そうよね。覚えてないよね。って言うか、覚えているわけないよね。だってキミは私にショルダーチャージしても気にも止めず走り去れるくらい薄情な人間だものね」
 今度は明らかに表情と台詞の中身が合っていなかった。そして相変わらず声色も表情とは正反対、実に冷たい声。まるで長宮先輩の口を借りて別の誰かが喋っているような錯覚すら覚える程だった。
 長宮先輩のこの器用で卓越した発声スキルは置いておくとして、どうやら俺が彼女の逆鱗に触れてしまったのは紛れもない事実らしい。
 だがそれ故、俺は困惑した。なぜなら俺が昨日、長宮先輩と接触を持った記憶がないのもまた事実だったからだ。まして長宮先輩相手にショルダーチャージをかました記憶なんて以ての外だ。俺に非があるのならば誠心誠意謝りたい。しかしながら身に覚えがない事を誠心誠意謝る事など出来はしない。この矛盾を抱え、俺の中で葛藤が生じていたわけだ。
 そうして俺がたじろいでいると長宮先輩は満を持したように表情を一変させた。一瞬にして笑みの消えたその顔に唯でさえ冷えきっていた背筋が更に凍りつく。
 そして―――
「……キミ……本当に昨日の放課後、私を突き飛ばした事を覚えていないの?」
 長宮先輩は追い打ちとばかりにここ一番凍てついた声でそう言った。
 俺は即座に自身の脳内メモリに再検索をかけていた。たった今判明した「昨日の放課後」という限定期間を重点的に。これ以上、心証を悪くするのは避けねばなない。さもなくば俺は完全に長宮先輩から嫌われてしまい、高校生活は黒歴史へと変貌を遂げてしまうだろう。そうならない為には今一度、昨日の放課後に長宮先輩と相見えた事実が有ったかどうかを精査し、正確な事実確認に基づく正しき対処をせねばならないからだ。
 それにである。今のダークネスな長宮先輩は普段の清廉潔白なイメージから程遠く、見るに耐えないというか、新たな扉を開いてしまいそうというかで、俺の精神衛生上よくないので即刻善処せねばならんと思わずにはいられなかった。
 飽く迄も俺の脳内での感覚であるが、再検索は難航を極めた。そもそも昨日の放課後なんていう直近の出来事を忘れているはずがなく、幾ら思い返したところで長宮先輩のなの字も見当たらないからだ。
 とは言え、簡単には諦められないので、俺は昨日の放課後の出来事を今一度順を追って思い出す。とりあえず一つ目妖怪に襲われるまでは先輩と遭ってはいないはずである。もしその段階で先輩と遭ってショルダーチャージなんてしていたとしたら、俺は動揺甚だしく集中力を欠いて、その後に発せられた妖怪のものと思しき叫び声に気付けず、一つ目妖怪と対峙する事となる視聴覚室へは向かわなかったと考えられるからだ。視聴覚室へ向かったという事実が、そのまま俺の失念を否定する事になるのというわけだ。
 となれば一つ目妖怪妖怪に襲われている最中は流石にないだろうから、やはりその後の逃走中という事だろうか。
 しかしだなあ……。
 俺は胸中で苦悶の声を漏らした。
 その後は只ひたすら、たまもと出会う事となる神社まで走っていただけである。ショルダーチャージなんてしている暇も余裕も無かったはずなのだ―――と、半ば諦めかけたその時だった。俺は自身の記憶の片隅で僅かに木霊す残響に気がついた。
 そういやあの忌むべき体験中、妖怪と思しき常軌を逸した断末魔とは別に黄色い声のようなものを耳にしたような……。
 俺は再度、注意深く記憶を辿る。今度は黄色い声のようなものに重点を置いて。するとそれが全力疾走中であった事だと微かに思い出した。これで放課後から全力疾走中に、検索期間が絞られた。更に記憶を呼び起こし、限定作業を続ける。あれは走り出してどれ程の時か? その時、周囲の情景はどうだったか? 疲労具合はどうだったか? 自問して考える。失念していたとは言え思い起こせば、あの声はそれなりに耳に残っている。となれば、体力的に猶予のある走り始めの方か。
 そうして考察を交えた結果、俺の中である情景が浮かび上がった。それは昨日の放課後、一つ目妖怪を振り払った俺が我武者羅に走り逃げる最中、昇降口の出先で人に接触する光景。その際に耳に響く「きゃっ!」という女子の声だ。
 そういや、あの女子の声は長宮先輩のそれに酷似していたような―――。
 ここで突きつけられた事実と俺の記憶がカチンと音を奏でて合致する事となった。同時にそれは俺の表情を介して外部送出されていたのだろう。
 再び眩しさすら覚える笑顔に戻った長宮先輩が顳かみに青筋を立てながら背筋の凍るような冷めた声を漏らした。
「やっと思い出したね」
「いや……あの、あれは……」
 四方や妖怪に襲われたから、などと言えるはずもない。釈明の言葉も見つからず、俺は狼狽して口籠ってしまう。
 すると長宮先輩は声色をいつもの可愛らしくも凛々しい口調に戻して言った。
「私ね、あの時は花壇の世話を頼まれていて、ちょうど向かうところだったの―――」
「……さすが……副会長ともなればお忙しいんですね」
「満水のジョウロを持ってね!」
「…………………」
 長宮先輩が目を見開いて温もりの消えた眼で俺を見据える。
「それが何を意味しているか解る? 満水のジョウロを抱えた私がキミにショルダーチャージされた事が何を示唆しているのかを―――キミは解るかな?」
 長宮先輩の声は再び冷めきっていた。
 俺も馬鹿ではない。ここまで『満水のジョウロ』を強調して言われれば、その結果どうなったのかは想像出来るというものだ。
 しかしながら想像できてしまったが故、俺は余計にそれを口にする事が出来なかった。なぜなら、それは凄惨な結果に違いなく、それを口にしたのなら間違いなく、今以上の叱責を目前の普段は可憐な上級生から浴びせられるからである。
 もっとも、そんな俺の抵抗は文字通り無駄な足掻きでしかなかった。何せ長宮先輩が俺の対応の如何など関係なしに自ら正答を明かしてしまったからだ。
「そうよ、その通り、私はずぶ濡れよ。不意に仕掛けられたキミのショルダーチャージで私はバランスを崩し転倒。その際、持っていた満水のジョウロは見事にひっくり返ったわ。ええ、でも大丈夫、幸い満水で重さがあったから上方に舞い上がり頭から水を被るなんて事にはならなかったから。ただ胸元を中心にして盛大に水を浴びることになっただけだから。お陰で制服はびちゃびちゃ、ブラウスが透けて周りに居た野郎どものイヤらしい視線に晒されるわ、体操着での帰宅を余儀なくされるわしたけどね。まあ、それだけよ。ホント不幸中の幸い、ラッキーだったわ」
 相変わらず悪寒を懐かせるような面持ちだった長宮先輩は最後に一際重苦しい口調で迫るように俺に言った。
「キミもそう思うでしょ?」
 その直後、俺が謝罪の言葉を口にしたのは言うまでもなかった。無論、腰は九十度に折り曲げ、誠心誠意の謝罪だ。偶然とは言え、悪気がなかったとは言え、のっぴきならない理由があったとは言え、俺の不備で長宮先輩に実害を与えてしまったのだ。謝る他にないというものだ。それに妖怪に襲われて命からがら逃げている途中でした、なんて言っても信じてもらえないだろうし、寧ろふざけていると思われ心象を悪くするだけ。そればかりか変人認定まで加わり、人間性という意味でも俺の印象は悪くなる。世間で言うところの非常識が原因で弁明不能という観点からも、只ひたすらに許しを乞う以外、俺に残された道はなかった。
 しかしながら、
「今更謝って赦されるとでも?」
 腰を折り曲げ地面を見つめる俺の耳に届いたのは長宮先輩の無慈悲な声だった。
 昨日から一晩おいての謝罪、しかも被害者本人から促されてのそれである。その結果は充分に予想出来るものだった。とは言え、相手は長宮先輩である。解っていたとてダメージは拭いきれない。男として消沈せずにはいられなかった。
 俺は食い下がるように伏したまま様子を窺った窺う。
「…………………………」
「…………………………」
 息苦しさすら感じる沈黙が続いた。
 果たして、こうしている事に意味はあるのだろうか。既に長宮先輩に嫌われているとすれば、俺のしている事は無駄な足掻きに他ならない。であればこれを続ける事は寧ろ状況を悪化させるだけではなかろうか。往生際の悪い嫌われ者は目に余るだけではなかろうか。
 そんな悶々とした疑念を懐き、それでも尚、ほんの僅かな可能性にすがろうとしていた時だった。
「その辺にしておきたまえ、長宮君。あまり後輩をいじめるものじゃないよ」
 誰とも分からぬ中性的な声が俺と長宮先輩との間に割り込んで来た。
「あぁ土御門さん、おはようございます」
 長宮先輩がその声の主と言葉を交わす。どうやら声の主は三年の土御門椿(つちみかどつばき)らしい。土御門椿はこの学校の生徒会長である。同じ生徒会の役員という事もあるのだろう、度々長宮先輩と連れ立っているのを見た事がある人物で、中性的な顔立ちの眼鏡男子だったと記憶している。
「やあ、おはよう。だがそれよりも、一体この状況は何なんだい? 生徒会副会長ともあろうものが校舎裏で後輩をいびり倒すなんてあまり感心できる行為とは呼べないよ」
 土御門が言った。
「べ、別にいびってなんかいませんよ。これは所謂、厳重注意と言うやつです。ほら、昨日話した犯人ですよ。私は彼から酷い仕打ちを受けたんですからね。非道、非常識を正そうと教育的指導をするのは生徒会役員としての使命じゃないですか」
「だったら、その辺で彼を赦してあげるべきではないかな。注意や指導は寛大な心があってこそだよ。それなくしては唯の自己満足と言うものだ。それに別段、常習者というわけでもないのだろ? 見たところ反省もしている様子だし、充分温情に値すると思うのだがね」
「……そ、それは……まあ……そうかもですが……」
 言葉を交わすうちに長宮先輩の声がみるみるうちに弱まっていくのがわかった。今の状況を打破する為には良い傾向と見るべきなのだろうが、自分の作った原因が元で誰かが責められているのはなんとも居心地が悪いものである。
「あ、あの、悪いのは俺なので長宮先ぱ……副会長を責めないでください」
 俺は未だ伏したまま、そう言って口を挟むのであった。
 すると土御門が「ふふっ」と微かに吐息を漏らし、「―――だそうだよ、長宮君」と声を震わした。
 長宮先輩が観念したかのように投げやりな声を上げたのはそれから数秒おいたの事だった。
「あーもー、わかりましたよ! 赦す、赦しますとも。だからさっさと顔を上げなさいよ」
 俺は言われた通りに顔を上げた。するとそこには落胆する長宮先輩と苦笑いでそれを眺める土御門の姿があった。
「今回は大目にみるけど、次はこうはいかないからね」
 俺と目が合った長宮先輩が溜め息まじりにそう言った。向けられた視線が少しだけ恐かったが、先程までの冷たさは消えていた。
「以後、気をつけます」
 俺は僅かに安堵しながら誠意を持ってそう答えた。
関連記事
スポンサーサイト



記事一覧  3kaku_s_L.png 未分類
記事一覧  3kaku_s_L.png 仙狐九尾会
         
五尾 ←五尾    →プロローグ プロローグ

~ Comment ~

管理者のみ表示。 | 非公開コメン卜投稿可能です。
【五尾】へ  【プロローグ】へ