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天使のような悪魔な彼女(仮)

プロローグ

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 俺は今、少女と対峙している。背中まで掛かる見慣れない銀色の長い髪、透き通るような白い肌、整った小顔に大きな蒼い瞳の端麗な少女だ。年齢は俺と大して変わらないように見える。因みに俺はその子と面識はなかった。如何に俺が学力模試で散々たる結果を残すほど記憶力に乏しい人間だとしても、民族国家であるここ日本に於いて、外国人としても珍しい銀髪少女と過去に知り合っていたら、相応の印象として残っているはずである。しかし、そのような記憶の断片すら俺には無い。だから彼女とは初対面である。
 そのような少女と人気の無いとある神社の境内にて向い合わせに立っているのだ。
 今の御時世、俺のような人間ならば、その可能性があることくらいは認識していたつもりだった。だが、やはり何処かで自分には関係の無い、縁遠い他人事のように思っていたのも確かだ。だからこうして実際当事者になると思い知らずにはいられない。自分の社会的地位というやつを。同時に言い知れぬ悲愴感が込み上げてくる。それは自分の持って生まれた運命と、それを再認識させられた事に対する嘆きであった。
 つまるところ、理解はしていたが覚悟は出来ていなかったわけである。
 俺は目前に立つ自分より小柄で華奢なその少女に精一杯の愛想笑いを振り撒きながら、数年前に受けさせられた特別講習を思い出していた。
 受講名は確か『旧人類が新時代を生き抜く為の心得』とかだったと思う。
「旧人類たる私達が交友以外の目的で彼等と接する時、私達は常に丸腰で銃を突き付けられているのと同義であると認識していなければなりません。銃火器同様、彼等の能力(力)の前に私達の腕力(力)など気休めにもならない無意味なものに他ならないからです。我々は無力です。だから、そのような事態に陥った時は極力彼等を刺激しないよう最善の注意を払いながら、迅速にその場を乗り切る為に尽力しましょう」
 そう言っていたのは元特殊部隊隊員という肩書の車椅子に乗った初老の男だった。現役当時の写真を見せられたが、そこに写る自らの足で立っていた彼は格闘家のように筋肉質な体格で、高校生となった今の俺でも腕力では到底敵いそうにないと思える姿だった。そして、それ故、その過去と相反する彼の姿と講義内容は印象的で説得力があるものであった。
 今の時代、腕力など有っても大した自慢にもならない。何せドラム缶程度の重さなら細腕で軽々と持ち上げてしまう人間などざらにいるのだから。
 触れることなく物を自在に動かせる『念動力(サイコキネシス)』、一瞬で別の場所に転移出来る、或いはさせられる『瞬間移動(テレポート)』、他にも他者の心に干渉できる『精神遠隔感応(テレパシー)』触れることで思念を読み取れる『接触感応(サイコメトリー)』など多種多様な能力。それら特殊な力は超能力と呼ばれ、それを持った人間は『新人類』と呼ばれている。
 それはひと昔前ならばSFの題材にでもなりそうな話だが、今の世にはそんな『新人類』と呼ばれる存在が当たり前のように跋扈しており珍しくもない。それがリアルな現実である。
 奇跡とも呼べる超能力を前にして腕力などという純粋な身体能力なんてものが、さして役に立たない事は疑いようのない事実であり、火を見るよりも明らかというやつで、それは現代の常識になっている。
 彼ら『新人類』は数十年前から急激に増え始めた。理由については今現在、幾つかの仮説はあるものの明確には解明されていない。一般には人類の進化が劇的に起こった程度に認識されているだけだ。まあ理由はさておき、『新人類』が増え始めたのはその頃である。
 『新人類』が現れ始めた当初、彼らの数はまだ少なく、その強大な能力故だろう、しばしば能力を持たぬ人間、所謂『旧人類』と揉める事も少なくなかったらしい。
 主な原因は旧人類の妬みによる差別的行為である。
 旧人類からしてみたら、反則みたいな能力で自分達では到底なしえないような成果を上げるのだから、嫉妬心が込み上げてくるのは当然だろう。ましてこの超能力は努力して身に付くようなものではなく、持って生まれるか、生まれないかの差であるのだ。その力に屈するという事は即ち努力を否定されるようなもので、感情的に受け入れがたい事象だったのだろう。
 それに、単純に怖いという感情も働いたに違いない。新人類に限らず、自身の力が遠く及ばぬものには誰だって怖れを懐くものだ。幾ら確率的に瑣末であったとしても、その身に降り注げば命を奪われかねない稲妻を怖れるように、いつその身を数十メートル先まで吹き飛ばすとも知れぬ『念動力』を、いつ空の彼方に移動(と)ばされるとも分からぬ『瞬間移動』を、いつ心の中身を暴露されるか分からぬ『精神遠隔感応』を、つい怖れてしまうのは自己防衛本能であり抗えないところがあるからな。
 ともあれ結果として、旧人類は次第に彼等新人類を忌み嫌い排除しようとするようになったわけである。
 では逆に新人類側はそんな旧人類をどう思っていたのか。何かと難癖を付けられ理不尽な待遇を強いられる中、圧倒的に能力の劣る旧人類から向けられる嫉妬に対し憎悪と軽蔑を懐いたであろう事は想像に難くない。初めこそ、その強大な能力故やむを得ない事と甘んじてその境遇を受け入れていた彼等であったが、次第に反感を覚える者が増えていき、やがては表立って抵抗する者まで現れるようになっていったそうだ。
 こうして自然と、大多数を占める能力的に劣る旧人類と、少数派の優れた能力を持った新人類という構図の対立が始まったのが、新人類が現れ始めて程なくしてのこと。この対立は当初かなり深刻な事態にまで発展したようで、一時は数に物を言わせた旧人類による新人類弾圧なんて物騒な事態になりかけた程だったらしい。
 だがそれも、やがて時間と共に沈静化していった。理由は簡単で勢力バランスが崩れたからだ。対立が激しかったのは弱者側である旧人類が数(勢力)の上で圧倒的に有利だった初期の話である。総人口の四十%以上が新人類となった昨今では、そんな発想は旧人類側の一部の過激派集団以外持っちゃいないのが現実だ。
 何せ今や新人類は社会にとって必要不可欠な存在となってしまったからだ。まあ、それも当然である。考えてもみろ、新人類はより優れた人種なのだ。優れた者が社会に必要とされるのは別段珍しいことでもなんでもないのだ。そりゃまあ、それが一人や二人なら、怖れて排除される事もあるのかもしれない。だがその人数が人口の四十%を超える状況となるとそうはならない。世の中には、新人類たる優れた人種が溢れているのだ。もはや排除できる数ではない。そればかりか単純な力関係を加味すれば、逆に旧人類のほうが排除されかねない状況だ。であれば、優秀な彼ら新人類を排除するよりも取り込んで活用した方が利益になる、優位性を得られる、そう考える人や企業、国が現れるのは自然な流れというものだ。まして、新人類は日々増え続けており、本当の意味で立場が逆転するのも時間の問題となっている現状とあっては、尚更そう言った考えは強くなる。世に点在する様々な組織、企業も大学も政党でさえも、今後の発展及び優位性を得るために挙ってその優れた能力を取り入れようと躍起になっている。実際に最近では新人類の待遇が旧人類のそれより上等なんて事はざらであり、そういった意味では既に立場は逆転しているのかもしれない。
 ともあれ、こうして優位性を得た優れた者である新人類が劣っている者である旧人類に嫉妬心などは懐かない。また、数で圧倒されることも無くなったので恐れを懐く事もないだろう。懐くとしたら精々旧人類が起こした過去の所業に対する憎しみか、才能に恵まれなかった者に対する憐みくらいなものだろう。だが、それすら今では時代遅れな考え方になりつつある。新人類からしたら漸く自身の個性を活かせる世の中になったのだ。放って於いてもいずれ殆ど居なくなるであろう旧人類など無視して、未来ある自身の為に心血を注いだ方が遥かに建設的との結論に至ってきたのだ。
 要するに新人類は能力のみならず人数の上でも優位性を築きつつある現在において、十分な社会的地位を確立できた結果として旧人類との対立理由を失った。また旧人類側は旧人類側で唯一の強みであった数的有利の消失により、対立意欲を維持するのが難しくなった。結果として、新人類と旧人類が対立する必然性が失われ、対立構造は自然消滅のような形で収束していった、ということだ。
 まあこれが新人類と旧人類の対立状況の推移である。
 尤も―――これは表向き語られる通説でしかない。実際には勢力を増した新人類に、今度は旧人類が苦汁を嘗めさせられる機会が増えているというのが実情である。つまり立場が逆転したわけだ。
 まあ、これも当然と言えば当然の流れであろう。
 繰り返すようだが、新人類は旧人類には無い技能(スキル)を持っていて、それは即ち両者間の優劣を意味しているのだ。そしてその両者の間に存在していた社会的差別化が無くなったという事は、両者の査定基準が統一された事を意味しているのだ。
 先にも述べている通り、新人類は社会にとって必要不可欠な存在になった。それは社会が欲するのが、常に『より優れた人材』であるからだ。査定基準が統一された現在、需要が多いのは必然的に新人類になる。
 そして、それはそのまま旧人類の需要の激減に置き換える事ができ、需要のない人間の末路がそのまま旧人類のそれに当てはまるようになったわけである。
 つまるところ旧人類には世知辛い世の中になってしまったのだ。
 今や何もかもが新人類中心に進み、新人類の為に存在するといっても過言ではない社会。最早新人類という言葉すら使われなくなりつつあるくらいだ。そこでは当然のように超能力が横行し、その能力値の高さが人間としての価値を大いに左右する。その結果、腕力や走力といった身体能力の高さなど、この社会を生きる上では気休めにもならない些末な才能に成り下がってしまった。
 それが今という時代だ。
 で、俺が今置かれている状況だ。俺は今、少女と対峙している。華奢で小柄な女の子。だが、現代において見た目の貧弱さなど相手との力関係を量る上で何の意味もなさない。真に注意すべきは相手が能力者かどうかであり、どのような能力を有しているかである。
 そして目前の彼女はつい今しがた手も触れずに地面を数メートルに渡り掘り起こしてみせた。「喉が乾いた」との短絡的な台詞と共に。
 そう、俺が今置かれているのは、時折ネタ不足のワイドショーでたまに取り上げられる事がある、能力者による無能力者からの強奪、所謂「旧人類狩り」に遭っているという状況であった―――――

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