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天使のような悪魔な彼女(仮)

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 四月某日。
 漸くこの地方にも遅ればせながら桜咲く季節というやつがやって来た。とは言え、まだまだ心地良い日差しとは裏腹に、駆け抜ける空気の流れには春風とは言い難い冷たさが残っていたりもする。この国においては比較的標高の高い地域なので、そのせいもあるのだろう。
 ここは島国日本において数少ない海に面さぬ内陸県、そのまたさらに中心部に位置する四方を山に囲まれた盆地の上に形成された街である。まあ、だからといって特別な何かがある訳でも無い、よく有りがちな田舎町だと思う。敢えて特徴を上げるとしたら近くにそこそこデカい湖がある事くらいだろう。
 そんな在り来りな田舎町で生まれ、在り来りに育ってきた俺だが、残念なことに在り来りな能力には恵まれなかった。
 この時代における在り来りな能力とは、もちろん『超能力』の事である。
 そう、俺は超能力を持たない無能力者。今という時代を生きるには余りにも嘆かわしい境遇の旧人類というわけだ。
 今や人類の四十%以上が超能力を持っている―――と言っても、これは端に総人口における超能力者の割合に過ぎない。そもそも超能力者というのは、ほんの数十年前から徐々に増え始めた連中である。決してある日突然、多くの超能力者が生まれたというわけではないのだ。年を追う毎にその出生率が増えていき、結果として今現在、四十%超という数字に達したのだ。そしてそれは数十年前という比較的短いスパンでの出来事である。なので年齢層が低い程、その年代における超能力者の割合は多く、年齢が高いと割合は少なくなるのである。加えて言うと、高齢化が進んだこの時代、まだこの超能力者が現れ始める前の世代、所謂『旧世代』も多く存命しているのが現状で、そんな中での四十%超という割合である事を忘れてはならない。つまるところ、俺くらいの年代ともなると、その割合は九十%に迫る勢いで、ぶっちゃけ旧人類である無能力者なんてのは既に希少な存在になっているというのが現状だ。実際、俺の周りの同級生も殆どが能力者で、無能力者の同年代なんてのは数えるのに片手で事足りる程度しかいない。
 このような将来的に能力者だらけになるであろう事が容易に想像できる社会において、それを持たぬ劣等種たる旧人類が自身の華々しい未来などそう易々と想像できるものではない。何せ、今や大学入試や就職に限らず何処も彼処も超能力有りきで成り立っている部分が多いからだ。そこへ俺のような無能力者がのこのこと顔を出しても、歓迎される訳がない。現に進学率も就職率も能力値の高さにほぼ比例するというのは統計としてはっきりと示されているのだ。本当に無能力者には世知辛い世の中である。
 特に何が一番辛いかといえば、学力や体力と違って努力してどうにかなるものではないという点だ。学習時間を増やせばテストの点は上がるかもしれない、毎日走り込みをすればマラソン大会で上位入賞できるかもしれない、だが超能力というものは如何に努力しようとも基本的に身に付くものではない。『持って生まれた才能』の部類に入る代物なのだ。無かった時点で諦めるしかないものなのだ。
 はっきり言って旧人類というのは今の時代、生まれ持っての負け犬である。実にに嘆かわしい存在なのである。
 そして、そんな嘆かわしき旧人類たる俺は本日、高校生活初日にして早々にテンションがた落ちでの下校を余儀無くされていた。
「くそっ、全てこいつが悪い!」
 俺は手に持った薄っぺらなプリント用紙をジロリと睨みつけていた。安っぽいA4用紙の冒頭には温かみの全く感じられない明朝体文字で『能力指数測定検査結果』と印刷されている。それは超能力の力量測定の結果が書かれた用紙だった。
 能力指数というのは読んで字の如く超能力の能力度合いを示す数値で、中央値を百として標準得点で表されている。早い話が知能指数の超能力版というわけだ。そして、この数値こそが現代社会の各方面に於いてもっとも重視される要素でもある。知能指数同様に百前後の数値でだいたい平均レベルの能力者とされ、それを越えて数値が上がる程より強力な能力者とされている。百二十越えで優秀者、百五十越えで秀才、百八十を越えようものなら天才と言われ持て囃されるといった具合だ。だから今では学力以上にこの能力向上が責務とされ、超能力専門の訓練塾なるものまで数多く存在する程だ。
 そんな事情もあり様々な場所で定期的に能力指数測定が行われているのである。
 で、今回渡されたのは、学校側が入学志望生徒の能力値把握目的で入学試験と同時に実施した測定検査の結果だ。
 そして総合能力値二十六、これが今測定における俺の能力値であった。相変わらず典型的な無能力を示す、二十と三十の間の数値。生まれてこの方、俺の能力値はこの辺りを小刻みにしか変動した事がなく、無能力者として実に見慣れた数値だった。
 とは言え、別にこの数値を見て気落ちしているかと言えば、決してそうでもない。前にも述べたように超能力とは生まれもっての才能。それを持たぬ者がある日突然それに目覚めるなんて事は、略皆無である。無論、過去にはそのような事例も幾度かはあったが、それは単純に検査システムの不備による見落としが主な原因である。そして、システムが発達しそのような見落としも殆ど無くなった今、起死回生の奇跡が起きる可能性は極めて低い。故に俺は端から期待などしていなかったのだ。期待していないのだから、それで気落ちするはずもない。
 なので、俺が気落ちしている理由は他にあった。
「くそっ、何も入学初日にこんなものよこさなくていいのに」
 俺は改めて自分の総合数値を睨み付け、結果表をがさつに折り畳み鞄の奥に押し込んだ。
 そう、こんな高校での新生活幕開けにおける仲間との初顔合わせ、入学式当日に能力測定結果(こんなもの)を配られたのが真の原因だ。こんなタイミングで能力測定結果(こんなもの)を配るなんてのは、クラスメイト全員に、周囲の者の数値に興味を懐けと促しているようなものである。そして、そのような環境下に置かれた無能力者である俺がどのような負い目を被るかは、火を見るよりも明らかというやつだ。
 俺は中学の時同様に、クラスメイトから珍獣でも発見したかのような奇異と侮蔑と哀れみの織り混ぜられた居心地の悪い視線を浴びせられる事になってしまったのだ。
 無論いずれはそうなるであろう事は覚悟していたさ。長年に渡りそのような負い目にあってきたので耐性も備わっているつもりだ。それでも、やはりあの親しみの籠っていた視線が瞬く間に失われ、皆の心がみるみるうちに遠ざかっていく感覚だけは未だに慣れることが出来ないのだ。
 しかも、それがよりにもよって高校生活の初っぱな、晴れの舞台とも言える入学式と同日である。新たなる希望の門出などあったものではない。寧ろ、己の運命をまざまざと見せられる格好となり、絶望の門出と化したのだ。めでたい席での不幸というやつで、殊更精神に堪えるというものだ。
 俺は鞄に結果表を仕舞い終えると「ふぅ」と肺の空気を吐き出した。こんな事をしたところで心の陰りが晴れるわけもないのだが、気休め程度にはなる。なので、嫌な思いを少しでもまぎらわそうと、俺はもう一度項垂れるように大きく息を吐き出したのだった。

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